縁起
安産・厄除のお寺
小石観音寺では安産無事を祈る子安観世音菩薩さま御本尊としてをお祀りしております。
これまで数多くの妊婦さんが来山され、お勤めを行い腹帯をお渡しし、安産祈願を行って参りました。
縁起
真言宗醍醐派鎮西聖徳山小石観音寺は、約800年ほど前、寿永年間(西暦1185年)平家が壇ノ浦にて敗走の際、 平家一門の追福の為に、 一武将が奉持し響灘に面する高地に安置し、 聖徳庵と名付けた事に由来するものであります。 以来、小石観音寺は舟人の海上安全の信仰を集め、 その後舟人の懇請により響灘から現在の地に移し、 「頼まれ観音」として多くの信仰崇敬を頂いて参りました。
特に現在小石観音寺より授与しております『安産御腹帯』は、 その昔航行中の船中にて難産に苦しんでおられる際、 本尊脇仏「子安観音」の御身を現じ、無事出産し、 その御礼詣りの新腹帯をご信仰の厚い他の妊婦さんに 授与したことが始りとされています。 それ以後、小石観音寺は、 「頼まれ観音」「子安観音」として年間数万人もの ご参拝をいただいております。
真言宗醍醐派鎮西聖徳山小石観音寺は、約800年ほど前、 寿永年間(西暦1185年)平家が壇ノ浦にて敗走の際、 平家一門の追福の為に、 一武将が奉持し響灘に面する高地に安置し、 聖徳庵と名付けた事に由来するものであります。 以来、小石観音寺は舟人の海上安全の信仰を集め、 その後舟人の懇請により響灘から現在の地に移し、 「頼まれ観音」として多くの信仰崇敬を頂いて参りました。
特に現在小石観音寺より授与しております『安産御腹帯』は、 その昔航行中の船中にて難産に苦しんでおられる際、 本尊脇仏「子安観音」の御身を現じ、無事出産し、 その御礼詣りの新腹帯をご信仰の厚い他の妊婦さんに 授与したことが始りとされています。 それ以後、小石観音寺は、 「頼まれ観音」「子安観音」として年間数万人もの ご参拝をいただいております。
真言宗について
今から2500年ほど前にインドで生まれた仏教は、 6世紀頃日本に伝来したとされています。 釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれた ことを出発点とした「釈尊仏陀の教え」であり、 キリスト教やイスラム教と並んで世界三大宗教に 数えられています。
真言宗は、空海(弘法大師)によって 9世紀(平安時代)初頭に開かれた日本の仏教の宗派で、 仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された 「密教」であるといわれます。 「真言宗」には様々な宗派が存在します。 主な宗派だけ数えてみても、 実に18派も数えることができます。
今から2500年ほど前にインドで生まれた仏教は、 6世紀頃日本に伝来したとされています。 釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれた ことを出発点とした「釈尊仏陀の教え」であり、 キリスト教やイスラム教と並んで世界三大宗教に 数えられています。
真言宗は、空海(弘法大師)によって 9世紀(平安時代)初頭に開かれた日本の仏教の宗派で、 仏教の中でも比較的中期から後期にかけて展開された 「密教」であるといわれます。 「真言宗」には様々な宗派が存在します。 主な宗派だけ数えてみても、 実に18派も数えることができます。
真言宗醍醐派 小石観音寺
真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)は、 日本における真言系仏教宗派のひとつで、 古義真言宗に属し、修験道の一派、 当山派の中心でもあります。総本山は醍醐寺です。 精神を一点に集中する瞑想を重んじ、 仏と我々の身体・言葉・心の三種の行為の 形態が感応しあう時、速やかに悟りの世界が 現れてくる(三密加持)と説きます。 弘法大師は、このあり方を仏が我に入り 我が仏に入る、という意味で 「入我我入(にゅうががにゅう)」 と呼んでいます。 密教の仏や菩薩たちは、 宇宙(法界)の真理そのもの(法)であり、 その「法」が身体的イメージとしてとらえられ ているのが仏や菩薩なのです。
真言宗醍醐派(しんごんしゅうだいごは)は、 日本における真言系仏教宗派のひとつで、 古義真言宗に属し、修験道の一派、 当山派の中心でもあります。総本山は醍醐寺です。 精神を一点に集中する瞑想を重んじ、 仏と我々の身体・言葉・心の三種の行為の 形態が感応しあう時、速やかに悟りの世界が 現れてくる(三密加持)と説きます。 弘法大師は、このあり方を仏が我に入り 我が仏に入る、という意味で 「入我我入(にゅうががにゅう)」 と呼んでいます。 密教の仏や菩薩たちは、 宇宙(法界)の真理そのもの(法)であり、 その「法」が身体的イメージとしてとらえられ ているのが仏や菩薩なのです。